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函館の歴史

ペリー来航で開かれた窓

安政元年(1854年)、日米和親条約が結ばれ、アメリカの使節ペリーが艦隊を率いて視察のために箱館を訪れました。安政5年(1858年)には、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとの修好通商条約が結ばれました。この翌年から横浜・長崎・箱館で貿易が許されることになり、国際貿易港として世界に門戸を開きました。

「箱館」から「函館」へ

箱館戦争後の明治2年(1869年)7月、明治政府は蝦夷地開拓のために開拓史を設置し、8月には「蝦夷」を「北海道」と改め、11国86郡に分けました。開拓史の箱館での政務開始を契機に、「箱館」は「函館」と改められました。

大正11年、函館市生まれる

大正11年(1922年)8月1日、函館は、札幌・小樽・旭川・室蘭・釧路とともに市制が施行され、これまでの「函館区」から「函館市」となりました。

北洋漁業の発展とともに

大正時代、函館は北太平洋におけるサケ・マス漁業基地、カニ工船基地として目覚しい発展を遂げました。市の人口も約15万人を数え、昭和10年ころまで、札幌・仙台をしのぐ東京以北最大の都市でした。

函館大火と太平洋戦争

昭和9年(1934年)3月、住吉町から出火した「函館大火」は、市街地の約3分の1を焼き、死者、行方不明合わせて2700人余りという悲惨なものとなりました。同14年には湯川町と合併しました。しかし、同16年12月8日、日本は太平洋戦争に突入し、同20年7月14・15日の空襲で約400戸が焼失したり、青函連絡船も壊滅的な被害を受けました。

戦後から現在まで

昭和22年(1947年)新憲法のもと日本の戦後復興が始まり、同27年北洋漁業が再開され、まちに活気がもどりました。同41年(1966年)には銭亀沢村と同48年(1973年)には亀田市と合併し現在にいたっている。平成8年4月現在、函館市の人口は、約29万8千4百名です。

<函館市要覧より>

※平成16年(2004年)戸井町、恵山町、椴法華村、南茅部町が函館市に編入合併する。