谷地頭から立待岬に向かう途中に石川啄木の一族の墓があります。墓には、「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」と記されいます。

立待岬は、昔から異国船を監視する重要な場所でした。寛政年間(1789〜1800年)には、北方警備のための台場が築かれ、明治になっては要塞が設けられ、日露戦争当時には、軍用無線電信所が置かれています。
立待岬から函館市街を望む岩にを与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑が刻まれています。
昭和6年に函館を訪れた時詠んだ歌です。
「浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土、寛」
「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと、晶子」
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